野生の復活する環境へ (長谷川愛/アーティスト)

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子どもの頃、生まれて最初に住んでいたのは、世俗と隔絶された田舎の丘の上の団地の小さな庭付き一軒家でした。その次はやや都会の社宅。隣のお家がくっついていて、鏡合わせの間取りなので、お隣に窓から入ったり、お風呂の壁を叩くとお隣さんとコミュニケーションが取れるのがとても新鮮でした。その後は田舎の祖父母の家で、元農家らしく縁側があり、母屋と納屋がある家でした。夏暑く冬寒い過酷な家です。

最初の家で最も好きだった場所は、居間と出窓と屋根の上です。居間からは山並みがよく見え、夜には下界の街のあかりがみえました。春には桜に取り囲まれてとても美しかったのを覚えています。同時に自衛隊の演習場が近かったせいか、爆撃音で窓がビリビリ震えたり、台風の時はイナズマが家を囲むように360度から見え、怖さをも感じました。街灯も少なく、木々が多かった故に夕方は水木しげるの描く黄昏時のような怖さでした。これらから思うに私は何かしらの恐怖なり美しさなりの「畏怖」を最初の丘の上の家で強く感じたと思います。 

そうした空間もそうですが、家の外の環境のほうにより強い影響を受けてきたように思います。田舎と都会、日本と海外、ギャップのあるところに住むと、家の間取りや家具は割とどうでも良くなってきて、家のある環境そのものが重要になりました。そこから、何が見えるか、どこで遊ぶか、どんな人と交流できるのか…などなど。

水中の家で暮らしてみたい

私は子供の頃から理想の家の妄想を紙に描いていたのですが、今もほとんど変わっていません。 一番の妄想は、水中の家に住むこと。視界いっぱいに魚に囲まれていたいんです(津波が来る危険についてはテクノロジーでどうにかするとして)。

そして外の魚が見えなくなる家の部分には、天井が高くて、広くて、ブランコなどの遊具があります。地上部分には庭があって、美しい花が咲き乱れて、人の目が届かないので、裸で外を歩きまわり、素肌に日光と風を直接感じるのです。

ちょっと妄想が過ぎたかもしれないので、現実的な方向も想像してみると、元々文化が大好きなので、安全で快適な温度で日光がたっぷり入り、周りには楽しい人に溢れ、美味しいお店も文化的イベントもたくさん発生している自然豊かな環境が一番でしょうか。

ここで考えてきた理想の家には、いつかパートナーや子供がいたらいいなー、とは思いますが、未来にもっとあるといいなと思うのは、屋内庭園(菜園、花園)とジムと遊具でしょうか。

現代社会の息苦しさから抜け出す、「野性」の復活する空間

いまの私の家には加湿器、鉢植え、空気清浄機を置いてますが、屋内庭園があったら不必要ですし、高額な酸素発生装置もいりません。ただそれには日光がたくさん入る部屋が不可欠。密集した都会に住みながら、この矛盾をどう解消していくのか?と考えてみると、意外と沢山の解決方法があると思います。

未来の空間を考えるとき、 「未来の都会の部屋」という言葉だけで、ディストピア感満載で非常に狭苦しそうなイメージが浮かびますが、できれば広い部屋で、自然が家の中にあり、運動ができると最高です。

思い出されるのは、オルダス・ハクスリーの『すばらしい新世界』。その物語の中では人に幸福感を与える「ソーマ」という薬が存在するのですが、その一方で管理された社会から逃げようとする人々が出現します。私は簡単に幸福を感じられる未来やVR/ARよりも、社会から逃げ出した人々の「 野性に働きかけた快さ」のほうがいいなと思うんです。そう考えると、未来の空間に必要なのは「野性の復活」でしょうか?

長谷川愛
アーティスト、デザイナー。バイオアートやスペキュラティブ・デザイン、デザイン・フィクション等の手法によって、テクノロジーと人がかかわる問題にコンセプトを置いた作品が多い。 IAMAS卒業後渡英。2012年英国Royal College of ArtにてMA修士取得。2014年から2016年秋までMIT Media Labにて研究員、MS修士取得。「(不)可能な子供/(im)possible baby」が第19回文化庁メディア芸術祭アート部門優秀賞。森美術館、アルスエレクトロニカ等、国内外で多数展示。